空襲に備えて家や工場などでも、建物の地下や近くの山などに防空壕が作られました。
大半が埋め戻されたり、崩落したりしていますが、現在でも一部が残っています。
(少しずつ更新しています。最終更新は24年10月3日です)
桑名市の実業家である諸戸清六の邸宅が修復され「六華苑」として市が公開していますが、屋敷の西方に防空壕が残っています。2ヶ所の入り口が鉄板で玄順に封鎖されていますので内部を見ることはできませんが、コンクリート製で入り口には階段もつけられています。
内部は長さ5m、高さと幅が2mあるようです。六華苑が修復されるまでは放置されていて、中には水が溜まっていたことがわかっています。富豪の作ったものは、他の民間防空壕に比べてもぜいたくで頑丈です。
民家の裏の山裾にありますが、2019年の大雨で入り口部分が崩れて狭くなりました。かつて竹藪でしたが、伐採した後に崩れたそうです。
入り口が上から崩落したので防空壕の長さが短くなりました。また、入り口が狭くなったために入りづらくなりましたが、奥の部分は良く残っています。
四日市山之一色町の山三瓦工業の敷地に「追憶の碑」が建てられています。戦争中、ここはこんもりした土手で、そこにコの字型の個人用防空壕が掘られていました。
1945年6月18日の四日市空襲の時、防空壕を焼夷爆弾Ⅿ47が直撃し、中にいた10人のうち3人が亡くなりました。他にも、近くに少なくとも3発のM47が落とされ、1軒が全焼しています。
防空壕そのものは残っていませんが、貴重なモニュメントです。
鈴鹿市国分町の道路沿いに3つの穴が並んでいます。
北、中央、南の3つの穴のうち、南の穴が比較的よく開いていますが、それでも内部に入ることは困難です。もともとはどの穴も髙さ1.2mぐらいはあったようですが、崩落が進んでいます。
内部の状況は不明ですが、北と中央の穴がコの字型になっていて、南の穴とは別のようです。
戦後すぐの時期からこの3つの穴があったそうです。紀北町東長島片上の民間防空壕にもよく似ています。
鈴鹿市中冨田の山地区に、コの字型の民間防空壕が1本残っています。この防空壕は山地区にお住まいだった方(故人)がお一人で掘られ、近所の方が一緒に入ったそうです。
地下壕入り口から奥までは5.5m、東西の長さは13.7mでほぼ完存していますが、西側の入り口は意図的に廃棄物で塞がれています。集落から道を上がってくると地下壕が見えるために、子どもたちが入らないように塞いだそうですが、土などを除去すれば、すぐに復元できそうです。
とても保存状態の良い民間防空壕です。
民家北側の山林に1本が現存しています。全長約8m。内部でゆるやかに曲がり、東側と北側に貫通しているノの字型です。
今は残っていませんが、壕の南側にも防空壕が掘られていたそうです。
鈴鹿市国府町北一色の丘陵斜面に3つの穴が開いています。中央の穴が防空壕の入り口で、内部は十字型です。左の穴は十字型の壕の天井が崩落したものです。右の穴は、十字型とは別の壕でごく浅いものです。
十字型地下壕は奥行5m、左右の長さ6.5mで、高さは1.2mです。
十字型の壕は、天井の一部が崩落していますが、非常に良く残っていて貴重です。
この斜面の前に、当時は民家があり、その家の方が掘った防空壕だとわかっています。
民家の裏の山裾に深さ3mほどの防空壕が完存しています。奥には椅子状のものもあります。防空壕の隣には、掘りかけて止めたくぼみも残っています。
この防空壕を所有されている方はうどん屋さんを経営されているので、営業時間内なら防空壕の見学が可能です。
白木町の丘陵は掘りやすく崩れにくい土質なので、近くにもL字型の民間防空壕が残っています。
県立久居農林高校(津市久居)の校舎南側の丘陵斜面には戦争中に多くの防空壕が造られました。1本だけ現存しますが、入り口が流土で狭くなり、内部はゴミが散乱している状態でした。
同校のガーデニングコースの生徒が防空壕の周辺を庭園にして、土木機械コースの生徒が説明板を作りました。壕の入り口には安全のための着脱できる柵も設置されています。
この防空壕の入り口にはコンクリート門柱があることもわかり、扉をつけたと考えられる金具も見つかっています。爆風への対策が取られているので、学校の中でも大切なものを保管していたと考えられます。
2020年秋に整備が完成した防空壕では、近くの小学校の子どもたちを招いて平和学習もおこなわれました。放送部が取り組みの様子をまとめた番組は、全国大会にも出場して準決勝まで進んだそうです。
2019年度に同校の放送部が中心となってプロジェクトを作り、防空壕の整備を開始しました。
中のゴミを回収し、流土や根を撤去して入り口を広くしました。
東長島の片上集会所の北にある山の斜面に、道路に沿って地下壕が整然と並んでいます。
片上の住民が協力して掘ったもので、内部はコの字型になっています。
入り口はもともと小さく、後に少し封鎖されていますが、内部に入ることもできます。民間防空壕がこれだけ面的に残っているのは貴重です。
『三重の戦争遺跡(増補改訂版)』(2006年 三重県歴史教育者協議会 つむぎ出版)
三重県の戦争遺跡について写真や地図を豊富に使って解説しました。「空襲年表」や「三重に墜落したアメリカ軍機一覧」など多くの資料も掲載しています。A4版で314ページ。持ち運ぶのに重いのが難点ですが、地域の戦争遺跡を知るガイドブックとして活用して頂ければと願っています。
すでに出版社ルートでの販売は終了し、残部を高村書店(三重県亀山市東町。電話0595-82-0414)で販売して頂いていましたが、それも24年2月9日で完売しました。県内から残部が出てきましたら、お知らせします。