日本が植民地にした朝鮮半島では、土地を収奪された農民が貧困生活を強いられました。
生きるために日本に渡って来た人たちは、日本人が避ける仕事を、悪い条件でさせられました。
特に鉱山や炭鉱などで彼らが置かれていた状況は、国際的には「奴隷」に該当するとされます。
日本の植民地責任を学べる戦争遺跡が三重にもあります。
(最終更新は2023年12月5日です)
伊賀市伊勢路の国道165号線沿いにある青山大師の横に供養塔があります。
これは1928年~30年に行われた参宮急行電鉄(現在は近畿日本鉄道)の旧・青山トンネル工事で犠牲になった16人のために建てられた供養塔です。
1930年に施工業者の大林組が建てています。
2002年に地元の中学生が調査をして、犠牲になった16人のうち8人が朝鮮人労働者であったことがわかりました。その翌年からこの地で殉難者の慰霊祭が開催されています。
日本の植民地支配を物語るとともに、中学生も見事に歴史の語り継ぎ部になれることを示す供養塔です。
現在の国道42号線の北に、かつての国道があり全長509mのトンネルが掘られています。木本トンネル(現在は鬼ヶ城歩道トンネル)です。
当時、木本町から北に行くには、山越え(松本峠)か船だったので、トンネルは住民にとって大きな願いでした。このトンネル工事のために大勢の朝鮮人労働者が動員されていました。
1926年1月3日。ささいなことで住民と朝鮮人労働者が険悪な雰囲気になりました。「朝鮮人が襲ってくる」というデマが広がり騒ぎが拡大し、町の在郷軍人を中心とした住民が朝鮮人労働者を襲い、2名を殺害しました。その後、朝鮮人労働者を町から追い出してしまうことになりました。
犠牲になった朝鮮人労働者は、李基允(イ ギュン)さん裵相度(ぺ サンド)さんです。お二人の墓石は極楽寺の無縁墓群の中から1984年に見つかりました。
しかし、その墓石には日本名と「鮮人」が刻まれ、戒名も4字しかない屈辱的なものです。
墓石は、裵さんのお子さんが来られた1990年に無縁墓群から下ろされて展示され、一時はリバティ大阪に移されましたが返還され、2000年に現在のように整備されました。市民団体による説明板や、ご住職による石碑が建てられています。
木本トンネル西側入り口北側に、犠牲になったお二人の追悼碑が建てられています。この碑は、1994年に「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者(李基允氏、裵相度氏)の追悼碑を建立する会」によって建てられ、近くには木本事件の概要や背景、碑を建立した意味が書かれた説明板も建てられています。
この追悼碑とその周辺は、市内の有志によって日常的に草刈りなどが行われており、急な石段に手すりが設置されるなど整備も年々進んでいます。毎年11月頃には市民団体による追悼集会が継続されていて、県内外から多くの方が参加されています。
紀州鉱山は石原産業によって1934年から再開発され、1978年の閉山までに銅や硫化精鉱を950万t算出したそうです。採掘には多くの朝鮮人労働者を飯場(はんば)単位で動員し、戦争末期には強制連行の朝鮮人労働者も投入されました。1944年末で、三重県に動員された強制連行の朝鮮人労働者は1767人。そのうち紀州鉱山が1225人、石原産業四日市工場が178人と、石原産業への動員が80%を占めています。
飯場の朝鮮人労働者は日本人労働者との交流も深かったですが、強制連行された朝鮮人労働者は隔離された施設で監視され、住民との交流もなかったそうです。
板屋地区の墓地の右エリア最上部に1基の無縁墓があり、「1964年3月」「石原産業株式会社紀州鉱業所」と刻まれています。
この墓地は最初は左エリアだけでした。そこには今も、板屋に居住されている家の墓が並んでいます。右エリアはかつて石原産業が所有する山林でしたが、そこに身寄りのない鉱山労働者が埋葬されるようになりました。
そして、右エリアを墓地として整備した時に、掘り出された遺骨や墓石を1ヶ所に集めて建てられたのが、この無縁塔です。当然、多くの朝鮮人労働者の遺骨を含んでいると考えられます。
道の駅「熊野・板屋九郎兵衛の里」の国道を挟んだ向かい側に朝鮮人追悼碑が市民団体によって造られています。敷地には、強制連行され名前が判明されている35名の朝鮮人労働者の名前を記した石が置かれています。
毎年11月頃に市民団体によって追悼集会が続けられていて、石に記されたお名前もその時に上書きされています。すぐ近くにある鉱山資料館には朝鮮人労働者についての記述がほとんどなく、改善が望まれます。
『三重の戦争遺跡(増補改訂版)』(2006年 三重県歴史教育者協議会 つむぎ出版)
三重県の戦争遺跡について写真や地図を豊富に使って解説しました。「空襲年表」や「三重に墜落したアメリカ軍機一覧」など多くの資料も掲載しています。A4版で314ページ。持ち運ぶのに重いのが難点ですが、地域の戦争遺跡を知るガイドブックとして活用して頂ければと願っています。
すでに出版社ルートでの販売は終了し、残部を高村書店(三重県亀山市東町。電話0595-82-0414)で販売して頂いていましたが、それも24年2月9日で完売しました。県内のどこかから残部が出てきましたら、お知らせします。