三重県からも多くの方が、国の方針に従って満蒙開拓団として中国東北部に渡りました。また、子どもたちで編成された満蒙開拓青少年義勇隊も茨城県で訓練をした後、中国東北部に送られました。敗戦後、国の保護もなく見捨てられた方たちは悲惨な状況の中、多くの犠牲者を出し、「中国残留孤児」「中国残留婦人」などの課題を残しています。
三重で最も多くの満蒙開拓団を出した多気郡と度会郡。宮川ダムの左岸にある広場に拓魂碑と「三重日輪兵舎」があります。
拓魂碑は1969年に建てられ、満蒙開拓団や満蒙青少年義勇軍で犠牲になった1500余名を追悼しています。
「三重日輪兵舎」は1973年に建てられました。日輪兵舎とは青少年義勇隊が最初に訓練した茨城県の内原などにあった兵舎です。その形を模して作られています。内部には写真や実物資料が展示され、開拓団員名簿が時計回りに、義勇隊員名簿が反時計回りに掲げられています。建物の老朽化が進み、修復または新資料館の建設が望まれます。
『三重の戦争遺跡(増補改訂版)』(2006年 三重県歴史教育者協議会 つむぎ出版)
三重県の戦争遺跡について写真や地図を豊富に使って解説しました。「空襲年表」や「三重に墜落したアメリカ軍機一覧」など多くの資料も掲載しています。A4版で314ページ。持ち運ぶのに重いのが難点ですが、地域の戦争遺跡を知るガイドブックとして活用して頂ければと願っています。
すでに出版社ルートでの販売は終了し、残部を高村書店(三重県亀山市東町。電話0595-82-0414)で販売して頂いていましたが、それも24年2月9日で完売しました。県内から残部が出てきましたら、お知らせします。