戦争中に出されていた空襲警報や警戒警報。
これは各地に作られていた防空監視哨からの報告をもとに出されていました。
三重県では4つの防空監視隊本部(津、宇治山田、鳥羽、尾鷲)が置かれ、
その下に約40か所の防空監視哨が作られました。
今でも哨舎の一部や、飛行機の音を聴くための聴音壕が残っている所もあります。
阿児町鵜方北方の丘陵に防空監視哨があり、聴音壕や哨舎の一部の遺構が残っています。
周辺には聴音壕に使われていたコンクリート片が散在しています。哨舎の基礎は埋まっていてはっきりしませんが、井戸枠や便所の基礎は露出しています。
聴音壕はレンガやコンクリートで作られ、大半は破壊されていますが、最奥部にレンガ壁の一部が残り、哨員が観測時に使ったコンクリート台座も一部が露出しています。おそらく戦後にレンガなどを使うために、入口から掘りおこしたと推測されます。
志摩町の金毘羅山展望台の南100mほどの所に御座防空監視哨があり、哨舎のコンクリート基礎と聴音壕跡があります。
哨舎の基礎は3.8m×5.6mの方形で、南東隅に便所の遺構が残っています。
聴音壕の床下には通路用の地下壕(幅0.7m、高さ1.4m、長さ12m)が残っています。
当初は聴音壕に入るための地下壕と考えていましたが、地下壕の掘り方が軍のものと似ていて、民間ではこのような壕を掘ることは難しいこと、また聴音壕の床下
聴音壕跡はコンクリートと煉瓦で作られた円形でしたが、戦後に米軍によって爆破されて、現在は直径4.2m、深さ2.7mの中にコンクリート基礎が残り、穴の周囲に煉瓦片が散乱しています。
につながっているのは不自然なことなどから、本土戦のために軍が作った可能性が高いです。
戦争末期に金毘羅山には砲台などの本土戦陣地が作られていたので、軍が立地も良く頑丈な防空監視哨を接収して陣地の指令所として使っていたのではと考えています。戦後に米軍が防空監視哨を爆破した例は少なく、監視哨以外の重要な目的があった可能性があります。
九鬼湾に突き出た標高60mほどの尾根の頂(イシガ峰)に哨舎のコンクリート基礎と聴音壕があります。
聴音壕はレンガ造りで内部をコンクリートで仕上げてあります。直径は約3mです。聴音壕の下部が埋められ、半分が壊されていますが、断面が良く見えるのでレンガが二重構造で積まれている様子がわかります。
聴音壕の周辺にはガラス片が多く散布していて、監視哨との関連も考えられます。
防空監視哨へは九鬼の集落からオハイに通じる遊歩道を行き、途中の猪垣広場から猪垣に沿って南に5分進むとイシガ峰につながります。比較的見つけやすい防空監視哨ですが、鹿や猿も棲息しているので、山道に慣れている方と訪ねるのが無難です。
哨舎は聴音壕の東に一段下がった平坦地にあります。哨舎のコンクリート基礎は3.8m✕5.5mの長方形で、便所跡と考えられる遺構も残っています。
国道311号線の二木島トンネルの上の尾根に荒坂防空監視哨があります。聴音壕はほぼ完全に残っていて、内径3m、深さ2mでレンガの二重構造で作られ、内部はコンクリートで仕上げられています。内部にはコンクリート製の座席や囲炉裏も作られています。三重県内で最も保存状況の良い聴音壕で大変貴重です。
聴音壕の一段下の平坦地に哨舎があり、コンクリート基礎が残っています。コンクリート基礎は3.5m✕5.8mの長方形で、便所跡と考えられる遺構もあります。
荒坂防空監視哨へは、国道311号線の二木島トンネル南入り口の東側にある階段を上がり、正面に見える尾根を西に登ります。トンネル入り口から15分ほどですが、道のない所を急登しますので、山に慣れていない方は現地を知った方と一緒に訪ねるのが無難です。
『三重の戦争遺跡(増補改訂版)』(2006年 三重県歴史教育者協議会 つむぎ出版)
三重県の戦争遺跡について写真や地図を豊富に使って解説しました。「空襲年表」や「三重に墜落したアメリカ軍機一覧」など多くの資料も掲載しています。A4版で314ページ。持ち運ぶのに重いのが難点ですが、地域の戦争遺跡を知るガイドブックとして活用して頂ければと願っています。
すでに出版社ルートでの販売は終了し、残部を高村書店(三重県亀山市東町。電話0595-82-0414)で販売して頂いていましたが、それも24年2月9日で完売しました。県内から残部が出てきましたら、お知らせします。